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見切り発車の占い師デビュー

こんにちは。
采慧(サキ)です。

10月末から
細切れにお届けしている
私のこれまでの歩み

■占いとの出会い~独学まで
■師匠との出会いを経て開業

を楽しんで下さった皆さん
ご感想など頂き
ありがとうございます。

いずれ紹介したいと思いますので
そちらも楽しみにしていて下さい。

さて今日は
開業後のお話しです。

◇◇◇

2000年11月
星の良い日に開業しましたが
実態は、形だけの開業でした。

構想も、準備も、何もなく
「運の良い時に始める」
ことが目的のスタートでした。

占星学教室で「今が最適」
とアドバイスを頂き

急ぎ、屋号と占名を考え
鑑定受付の電話を用意し

親戚や友達に
開業の案内ハガキを送って
見切り発車の占い師デビュー
となりました。

実占経験がない私は
まずは鑑定経験を積み
占いの腕を上げることを
目標にしました。

家族には
「お婆ちゃんになったら
路上で占いしてたりして笑」

などと、冗談半分で
言われていましたが

まさか20代で
副業で占うことになるとは
夢にも思っていませんでした。

当時勤めていた会社は
兼業が許されていたので
同僚にも少し宣伝しましたが

私が行った営業は
これだけでしたから
当然、仕事が入るとは
思っていませんでした。

気長に仕事が入るのを待って
時々鑑定できれば十分
と思っていましたので

最初の1年は
知り合いの紹介で
月に1~2名の依頼が
入るだけでした。

仕事のない月は年間4ヶ月。
ほとんど開店休業状態です。

そして2年目は
夫の転勤で福岡へ引越し
知り合いからの紹介も
ぱったり途絶えました。

半年間、占いの仕事はゼロ。

当時、関東から福岡への
通話料は60円/45秒
(平日夜間)でしたから

30分相談すれば
通話料だけで2400円。
関東からの電話鑑定依頼は
なくなって当然です。

そこで

女性客が多いお店に
チラシを置かせて頂こうと
休日に営業を始めたのですが

どこのお店も
とにかく冷たい。

門前払いは当たり前。
「見ず知らずのアンタに
何で協力する必要があるの?」
と怒鳴る店主もいました。

当時の手帳に
「仕事がなければ自分で作る」
とメモしてありましたが
(先日見つけました)

そんな気持ちで
来る日も、来る日も、
飛び込み営業をして
いたのだと思います。

その後、やっと1件
チラシを置かせてもらえましたが
そこでモチベーションが完全に切れ
飛びこみ営業はお終い。

1件チラシを置いただけでは
鑑定依頼が来るはずもなく
3年目は完全に仕事ゼロかな……

と思っていた矢先

占い師募集の
折込チラシを見て
受けた面接に合格し

平日は会社勤め
週末1日は占い館出演
という新たな兼業生活が
スタートしました。

博多駅前の交通センターや
商業施設のレストラン街、
ショッピングセンターの一角など
色々な店舗に出演させて頂き

1日10時間
小さな占いスペースで
お客様を待ち続けました。

最初のうちは1日0~1人
3ヶ月が経って1日1~3人
半年が過ぎると1日4~5人
と少しずつお客様が増え

開業4年目に入るころ
やっと、月10万の収入が
安定し始めてきました。

まだまだ、行列を作る
人気占い師さんの足元にも
及ばない鑑定人数でしたが

この頃から
軌道に乗ってきたという
感覚が芽生え始めました。

すると
占い館の本部からも

「もう少し出演日
増やしてみない?」
というお話しを頂き

出演日数を増やすため
ついに、仕事を辞め
専業占い師になりました。

そして5年目には
年間500件以上の
鑑定ができるように
なったのですが……

また夫の転勤で
関東に戻ることになり
一からやり直しとなるのです。

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